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声を教えるという営み──理論と感覚のあいだで考える

レッスンの中で、「いまの説明、伝わってるかな?」と立ち止まることがよくあります。解剖学や音響の知識をもとに話しても、ピンとこない人もいる。逆に、ふと投げかけた比喩が、驚くほど深く届くことも。声を教えるという営みは、理論と感覚のあいだを行ったり来たりすることだなと、つくづく思います。

教える立場の人が理論をしっかり学び、同時に感覚的なアプローチも柔軟に取り入れることが、学びの場にとって不可欠だと私は考えています。

「モデル」という考え方の意義

音声の教育や研究において、「モデル」という言葉はよく使われます。ここでいうモデルとは、声の生成や共鳴の仕組みを理解するために、現象を抽象化・簡略化した理論的な枠組みのことです。

具体的には、声帯や声道の動き、空気の流れ、音響的な相互作用を説明するために、さまざまなモデルが提案されています。それぞれのモデルは異なる仮定や視点のもとに構築され、音声学や音声教育に大きく貢献してきました。

重要なのは、これらが絶対的な真実ではなく、あくまで複雑な現象を捉えるための仮の地図であるということです。この柔軟な視点を持つことは、教育の実践においても非常に大切です。

共有されにくい「モデル」の発想

一方で、こうしたモデルの概念があまり教育現場に共有されていない場面もあります。特に、現代的な教育理論とは異なるアプローチが根強く残る伝統的な声楽教育の中では、「歌手は発声の構成要素を理解できない」という思い込みが、いまだに影響力を持っていることがあります。

その結果、指導の現場では、身体の機能や声の仕組みを明確に言語化するのではなく、感覚的で神秘的な言葉に頼った指導が中心になることもあります。

この問題について、声楽教育者リチャード・ミラーは以下のように指摘しています:

このようなイメージ主導の言葉は、芸術的な直感を刺激する一方で、理解や再現性を妨げることもあるというのは、教育者として無視できないポイントです。

理論ベース vs 感覚ベース─二つのアプローチ

私は声楽教育における指導スタイルを、大きく以下の二つに分類して捉えています:

 ・理論ベースの歌唱指導

解剖学、生理学、音響学といった専門知識を使い、明確な言語で身体の使い方を説明します。たとえば「軟口蓋を上げましょう」「第一フォルマントと基音をチューニングしましょう」など、直接的に身体へアプローチする方法です。

 ・感覚ベースの歌唱指導

科学的な理解を踏まえたうえで、あえて専門用語は使わず、比喩やイメージ、感覚に訴える言葉を使います。「声を泉のように湧き上がらせて」「おなかから声を出して」といった言葉がここに当てはまります。

どちらか一方が優れているという話ではありません。実際、多くの優れた指導者は、この二つを柔軟に行き来しながら教えています。

バランスには注意が必要

近年、科学的な言葉による「見える化」が重視される傾向があります。理論に基づいた説明は明快で説得力があり、信頼を集めやすいのも事実です。

しかし、その言葉が本当に明確で、曖昧さがないのか?その身体の動きは本当に再現可能なのか?という問いは、常に意識する必要があります。

たとえば「軟口蓋を上げてください」という指導には、

  • 「軟口蓋」を自覚的にコントロールできるという前提

  • その動きが音質にどう影響するかを理解しているという前提  

              が含まれていますが、実際にはこのプロセスが感覚的に掴みにくいことも少なくありません。

また、科学的な言葉もまた、ある種の「比喩」であるという視点も重要です。これらの用語も、人間の複雑な生理機能を、私たちが理解しやすいようにモデル化し、言語化したものです。私たちが使う言葉は、どれほど正確に見えても、ある一つの側面を強調する代わりに、他の側面を見えにくくしてしまうことがあるからです。

教師としての責任──言葉を選ぶということ

声の指導において、教師が使う「言葉」には、想像以上の力があります。

研究によれば、「なめる」「つまむ」「ける」といった動詞を読むだけで、それぞれの動きに対応する脳の運動野が反応することが確認されています(Hauk 2004)。さらに、比喩的な表現であっても、それが身体の動きのイメージと結びつくことで、実際の動作に影響を与えることがあるという報告もあります(Santana 2011, Andres 2015, Loersch 2011)。

つまり、言葉が私たちの脳内で対応する身体の動きの準備を活性化させたり、特定の行動を連想させたりすることで、実際に身体の動きを導く力を持っているということです。

だからこそ、どんな言葉を使うか、その言葉がどんな感覚や行動とつながっているのか。私たち指導者は、それを丁寧に考える必要があるのではないかと思います。

最後に

声を教えるという営みは、理論と感覚、言葉と身体、見えるものと見えないもののあいだを行き来することだと感じています。

大切なのは、どちらか一方に偏ることなく、それぞれの良さを認めて、バランスを探り続けること。そしてそのなかで、「モデル」という考え方も、私たちの実践を支える大切な土台になるのではないでしょうか。

参考文献

  • Hauk, O., Pulvermüller, F., & Johnsrude, I. (2004). Somatotopic representation of action words in human motor and premotor cortex. Neuron, 41, 301–307.

  • Santana, E., & de Vega, M. (2011). Metaphors are embodied, and so are their literal counterparts. Frontiers in Psychology, 2, 90. https://doi.org/10.3389/fpsyg.2011.00090

  • Andres, M., Finocchiaro, C., Buiatti, M., & Piazza, M. (2015). Contribution of motor representations to action verb processing. Cognition, 134, 174–184. https://doi.org/10.1016/j.cognition.2014.10.004

  • Loersch, C., & Payne, B. K. (2011). The situated inference model: An integrative account of the effects of primes on perception, behavior, and motivation. Perspectives on Psychological Science, 6(3), 234–252. https://doi.org/10.1177/1745691611406921

  • Miller, R. (2004). Solutions for Singers: Tools for Performers and Teachers. New York: Oxford University Press.

  • Ashworth, A. (2018). Embodied Words: Physical Consequences. Royal Academy of Music.

 
 
 

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